最初に断っておきますが、タイトルでは「約束手形」を意図的に誤用していますので、ご了承ください。
それでは本題に入ります。
ブロガーのricaさんの少し前の記事「結婚はオワコン?」を読んで考えたことがありますので、今日は再度結婚をテーマとして取り上げます。
まず結婚がオワコンであるかどうかは一旦置くとして、データを見ても、確かに人口あたりの婚姻率は1947年をピークに下がりつづけており、その世代以降に起こった1970年代のベビーブーム以降、若い世代の人口も増えることなく減っています(当然ながら出生率も低下)。
しかし、では、なぜ人々は結婚しなくなったのでしょう。
いくつかの理由が考えられますが、一つには人間関係が変わったことが上げられます。
昔は、結婚して子を持ってこそ一人前であるとする考え方が一般的でした。
結婚できない人や子供を持てない人を馬鹿にしているなんて言わないでくださいね。
昔はこうだったという話をしているだけですから。
そして、家族に適齢期の娘がいると、会社役員をしている知り合い頼んで独身の部下を適当にみつくろってめあわせるとか、近所の世話好きのおばさんに見合い相手を見つけてもらうなんてことがよくありました。
ううむ、なんというか、結婚が軽かったんですね。
ただし、これでは、当事者の、特に女性の意志を無視していることになります。
そのため、こうした慣習はプライバシーの侵害だとして、徐々に廃れてしまいました。
それとともに、女性の社会進出が進み、今では女性が働いていることはあたりまえです。
そしてこうした自立し始めた若い女性たちが恋愛結婚至上主義になったことも無視できません。
つまり、周りがお膳立てした結婚よりも、幸せな恋愛をして結婚に至るということを夢見るようになったのです。
この恋愛結婚至上主義はかなり根強いもので、たとえばある見合い結婚をした女性は見合い後に普通に付き合ったのだから、見合い結婚であることを絶対に認めようとしないなんてことがありました。
経済的な事情も考えなければいけません。
経済成長が停滞し、収入が増えていないのに、税金の負担は増加するばかり。
また非正規で不安定な雇用形態で働く方も増えています。
そのために経済的な不安から結婚になかなか踏み切れないのです。
こうした中、上に書いたような結婚に対するロマンティックな憧れというか、幻想が解けてきています。
今では結婚をしてもしなくてもそれは個人の意思の問題と考える人が増えてきているのです。
とはいえ、こうした婚姻率の低下を悲観的に考えることはありません。
むしろ、多様化の時代の証だと前向きに捉えるべきでしょう。
行政は婚姻率低下にともなう出生率低下をくい止めようと、必死で若者たちに結婚は良いものだと宣伝していますが、そんなもの気にすることはない。
結婚してこそ一人前という考えはもう古いのです。
こんな格言があります。
「結婚して不幸になった人と結婚できないことで不幸になった人は、同じくらいの人数である」。
結婚が幸せを約束してくれるものだとは考えないことですね。
結婚自体を目的にするのではなく、結婚すべきパートナーが見つかったから結婚すると考えるべきでしょう。
子供を持つことについても同じで、子供がいないことに引け目を感じることはまったくありません。
さらにいえば離婚についても、今では比較的簡単に離婚する人が多くなったとはいえ、深刻に捉える傾向が根強く残っています。
そんなことはない。
駄目だと思ったら、躊躇せずに踏み切ることです。
要するに、結婚、出産、離婚、すべて自分が一番幸せになれる道を選べばいいのです。
まあ、今後も若い人たちの考え方は変わっていくでしょうし、私がとやかくいうまでもないことなのでしょうが。
では