昨日の続きです。
昨日も書いたとおり、K君は「彼女がいれば・・・」と述べています。
虚しい発言ですね。
いわゆる「たら」「れば」の話で、こんなどうにもならないことを言っても何にもならないでしょう。
将来のために何かの役に立つのなら別ですが、単なる泣き言でしかない。
そして、こういう人間は必ず自分に都合が良いように考えます。
K君の例でいえば、まるで自分のルックスさえ良ければすべて上手く行くと考える。
しかし、上野氏が指摘するように非モテを容姿の悪さに帰することは、ある意味で自尊心を守る安全な方法なのです。
容姿は、学歴や職業のように努力すれば変えられる可能性がなく、親の責任にできるからです。
要するに安易な方向に逃げてるんですね。
もう一つ容姿の悪さを嘆く男性の例を上げましょう。
ある東京大学准教授の発言です(やはり上野千鶴子氏の著書からの引用)。
「もういいんだもんね。ずうーっと我慢してきたけど、もうどうでもいいもんね。
おまえらなんかだいっきらいだバカおんなども!!
こどものころからもてなかった。
なんでかというとへんな顔だからだ。
でぶだからだ。
背が高くないからだ。(中略)
フェミニズムのおっかないおばちゃんたちは「コミュニケーション能力を磨け。それが足りないから、おまえらおたくは女に相手にされないんだ」って言うけれど、それはちがう。
断じてちがう。
おたくだからもてないんじゃない。
見てくれで選別されて女性とのコミュニケーションをいきなりまるごと拒絶されたんだ。
自分を貶めてこびへつらってまで何であんたたちと話をする必要がある?」
どうですか。
かりにも東京大学准教授ですよ。
肩書だけでは判断できないと言われるかも知れませんが、一応インテリと言われる人間と考えてもいいんじゃないかな。
それが、K君に引けを取とらないようなこんな甘えてひねくれた発言をする。
二人にはいろいろと共通点があります。
何もかも女たちが悪いと考え、自分は容姿は悪いが、本当は高い価値があり、その価値がわからない女たちを恨んでいる。
申し訳ありませんが、私にいわせれば、大きな勘違いですね。
彼らには、少なくとも本人が思うほどの、他人が評価してくれるような価値なんかありません。
女性だけでなく、男性も、こんな甘えた、自分大好きの人間を好きになるはずがない。
私だったら友達になることはおろか、話もしたくないですね。
彼らは自分自身を真剣に見つめることがなく、自省の気持がありません。
ついでにいっておくと、東京大学准教授も「自分を貶めてこびへつらってまで何であんたたちと話をする必要がある?」と思うのだったら、本当に女性と話をするのを止めればいい。
実際には、こんなくだらない拗ねたような文章を発表しながら、ちらちら反応をうかがっているのが丸わかりです。
本当に嫌らしい。
K君や東京大学准教授に限らず、自分がモテないのはルックスが悪いからだとか、女たちが自分の価値を理解してくれないからだと考えている男性たちは、自分を見つめなおし、自分には他人が評価するような価値などないことを思い知ったほうがいいでしょう。
そして、それでも生きる意味があると認識し、「モテる、モテない」などといったくだらない価値観に拘泥することを止め、他人の目を意識しない自分だけの価値を作り上げる。
その上で、女性を蔑視するのではなく、同じ人間として普通に接するようにすれば、少しは対応も違ってくると思います。
では