
昨日までの文章になんとなく続いています。
また、かなり前に書いた文章とかぶる部分もありますので、既視感があるかもしれませんが、その際はご寛恕ください。
ということで本題に入ります。
よく鳥のように自由に空を飛びたいといいます。
しかし、鳥にしてみれば、他にどうしようもないし、仕方がないから空を飛んでいるだけでしょう。
自由とは何の関係もない。
さらに空を飛ぶために鳥がどれだけのものを犠牲にしたかも考えていない。
さて、私の占い業の方のクライアントに、どうして自分だけがこんな不幸な目に会わなければけないんだと嘆く人がときどきいます。
私はこんなに貧乏で苦労ばかりしているのに、〇〇は何もしないで楽して生きている。
〇〇の部分にはビル・ゲイツさんとか前澤友作さん、またはもっと身近な金持ちの知り合いの名前が入ります。
しかし、こういう人たちは物事のうわべしか見ません。
まあ、ビル・ゲイツさんや前澤友作さんが本当は不幸だとは思えないにしても、普通は、外からどんなに幸せそうに見えても、その人の内面は他人にはわかりません。
どんな問題や悩みを抱えているかなんてわかりようがない。
しかし、不幸をかこつ人たちはそんなことを考えようともせず、世の中は不公平だと嘆きます。
そしてこういう人たちは、昨日までの文章で取り上げたK君と東大准教授と同じように「たら、れば」の話をします。
「彼女がいさえすれば・・・」、「金持ちに生まれてさえいれば・・・」
さらに現在の不遇(彼らがそう考えているだけですが)はすべて他人のせい、または天(または何らかの絶対的な存在)のせいだと考えます。
自分はまったく悪くない。
そして、上に書いたような大金持ちたちの努力や才能を認めず、単に運がよかっただけだと決めつけ、自分も「運さえよければ」と考えます。
いって悪いですが、こんなのは現実を見ないようにして、逃げているだけです。
こうした人たちが愚痴や不満をいうことで精神のバランスを取っていることはわかりますが、傍から見れば、見苦しいとしかいえません。
もちろん運不運はあるでしょうし、生まれは自分ではどうしようもない。
最近は、「親ガチャ」なんて言葉も生まれているくらいです(一応説明すると、子どもがどんな親のもとに生まれるのかは運任せであり、家庭環境によって人生を左右されることです)。
しかし、少なくとも現在の日本ではある程度のレベルなら自らの努力で辿りつくことができるはずです。
ビル・ゲイツさんや前澤友作さんと同じくらいのレベルなんてことを考えなければ、充分にチャンスはある。
現状に不満を抱くこと自体は悪くはないと思います。
ただ、その不満をバネにして上を目指さすのではなく、世間を恨み、愚痴を並べてばかりいるのでは、心が黒く塗りつぶされてしまうでしょう。
ひいては本当に不幸を引き寄せてしまう恐れさえある。
何にもならない愚痴を止め、前を向いて、ポジティブに生きることで、少しずつでも、心の幸せを育てていくようにする。
これ以外に現状をいい方向に変えていく方法はありません。
では