
昨日書いたように、何かといえば世の中は不公平だと嘆く人がいます。
特に、自分のツキのなさをもって、不公平を嘆く人が多いようです。
たとえば、他人が宝くじにあたったり、大金を儲けると、なんで自分じゃないんだ、世の中は不公平だとくやしがる。
ひどいときは、その儲けた人の不幸を願ったりします。
こうして見ると、不公平だというのは、単に自分が良い目を見ないからなんですが。
要するに、自分にとって都合の良い世の中が公平だということなのでしょう。
しかし、自分に都合の良い世界って、本当に素晴らしいのでしょうか。
大昔の米国のテレビドラマシリーズ「アウターリミッツ」のあるエピソードを思い出します(記憶が曖昧なので違うシリーズだったかも知れません)。
簡単にストーリーを紹介しましょう。
極悪人が死後の世界に行くと、そこではあらゆる望みがかなえられます。
何でも手に入るし、女性にもモテモテ。
宝くじは当たるし、ギャンブルをしても負けなし。
まるで天国です。
しかし、やがて主人公はあまりに何もかも上手く行くので飽きてしまい、天使にこんなところにもういたくないと訴えます。
すると天使は「お前のいるこの場所は地獄だ、永遠に逃れることはできない」と告げました。
結局、すべてが思い通りになる世界は「地獄」だということですね。
それから、もう一つ不公平の声をよく聞く問題は、死に関してでしょう。
人は近しい存在や大切な人間が亡くなると早すぎると言います。
ひょっとしたら、「どうして〇〇がこんなに早く死ななければいけないんだ。××は長生きしているのに」と考えているのかも知れません。
また、死病に冒された人間もなぜ自分がと思います。
自分のしてきたことや、才能、将来などから、自分の人生には意味があると信じる人は多いでしょう。
かりにそうしたものが何も無くても、「なぜ私がこんなに早く死ななければならないのだ。先に死ぬべき人間が他にも沢山いるのに」と考えます。
しかし、どんなに自分は主人公として生きてきたと思っても、実際には単なるワンノブゼムなんですね。
少なくとも死の前では誰も特別の存在ではありえません。
卑劣な殺人者が五体満足のまま、のうのうと生き延び、その一方で罪なき子供が無意味に殺されたり、才能ある人間が難病に苦しんだあげく、若くして無念の死を遂げる。
こんなことは日常茶飯事です。
確かに、この世は不公平であり、不条理であるといえるかも知れません。
しかし、上に書いたように、どのような人生を生きようが、そんなことには一切頓着せず、完全にランダムだからこそ、死は平等なのです。
不運を嘆くことは人間として当たり前のことでしょう。
存分に悲しめばいいと思います。
しかし、世の中は不公平であり、不条理であるとの事実を前に不平を漏らし、天を恨むだけでは余計に不幸になるばかりです。
不幸をかこつ暇があるのなら、世の中の不公平性、不条理性を受け入れた上で、そのときできることを精一杯頑張るべきでしょう。
そのほうが、少しずつでも幸せに近づくことができると思うのですが。
昨日に続いて説教臭い話で申し訳ありません。
では
蛇足:「アウターリミッツ」は私が子供のころに大好きだったSF系番組で、最近「トワイライトゾーン」(元々のタイトル)として復活しています。