
かなり古い作品ですが、道夫秀介さんの「骸の爪」という小説に霊についての面白い解釈が書いてありましたので、ご紹介したいと思います。
多くの場合、霊は意図的に生み出されます。
具体的な不可解な現象があり、その現象を説明するために霊が持ち出されるんですね。
家庭内に不幸が続いたとします。
ほとんどの場合、偶然なんですが、不安になり、何か理由があるのではないかと考える人も結構います。
墓地で撮った写真に顔のようなものが写っていたり、ある場所で交通事故が多発する、といったことがあった時も同じです。
やはりその理由を知りたいと思うんです。
そして、こうした現象を説明するために霊という説明体系が利用されるわけです。
人間は理解できない謎や畏れを自分自身の観念の世界に押しとどめておくことができないのです。
そのために、果に対する因として、霊という説明または霊という物語を生み出します。
妖怪も同じです。
見に覚えのない切り傷が腕や足にできた時に、理由がないと何となく落ち着きません。
それで目に見えない生き物がいると考えるわけです。
そして、霊能者やシャーマンがこうした説明をする役目を果たします。
言い換えると、人間が不可解を理解にまで昇華させて形而上の納得を得るという隠れた目的をもって、体験者自身あるいは霊能者やシャーマンといった第三者が意図的に生み出したものが霊なんです。
ついでですので、シャーマンについて簡単に説明します。
シャーマンとは巫師ともいい、基本的には霊と交信して、予言やお告げをします。
多くはトランス状態に入りますが、宗教学者エリアーデによると「エクスタシーのテクニック」て霊と交信する現象を起こすとのことです。
日本でも「鬼道」を用いた卑弥呼や恐山のイタコもシャーマンですね。
長くなったので明日に続きます。
では
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