
今日は予告どおり、最近読んだ上野千鶴子氏の著書「女嫌い」について書きます。
といっても全体に対する批評や感想ではなく、面白いと思ったポイントをいくつか取り上げるだけですが。
ということで、まず、上野氏は女好きの男は女嫌いだと主張します。
なんだか矛盾していると思われるかもしれませんが、要するに女性を蔑視しているということです。
上野氏は、いわゆる「性豪」と呼ばれる男性は、「モノにした」女の数は誇るが、単に女体や女性器、女性性の記号やパーツに反応しているだけだと述べます。
女性を人間として見ていない。
そして、その例として吉行淳之介を上げます。
吉行淳之介といっても最近の若い人は知らないだろうな。
簡単に説明すると、1954年に芥川賞(「驟雨」)を獲った作家で、文壇きっての色男とされ、ずいぶんもてたそうです。
性を媒介として人間を探求した作品が評価され、特に娼婦やくろうと筋の女性の世界を取り上げていました
上野氏は、吉行は女好きというより、娼婦好きであって、しかも、娼婦を女性として愛するのではなく、金で買った女を自由にもてあそび、自分に従わせるのが好きなのであると断じます。
仕事として相手をしてくれる女性を感じさせることによって、自己承認欲求を満たすというわけです。
そして、吉行の作品の底にあるのは、ポルノ小説によく見られる嫌がる女性を快楽に溺れさせる、つまり「イカせる」ことによって、女性を屈伏させるといった図式ですね。
当然ながら、女性の快楽はこのような男性にとって都合の良いものではないのですが。
吉行が売れていた時代には、女性を理解したければ彼の作品を読めとよく言われていたそうです。
しかし、そこに書かれているのは、実際には男性が女性はこうであって欲しいという幻想でしかないんですね。
ここまでは私も賛成です。
確かに、モテ自慢の男性たちは沢山の女性と関係を持ったことや、果ては同時に複数人の女性と付き合っている(いわゆる〇股というやつですね)ことを誇ります。
そして、彼らにとって大事なのは人間としての女性ではなく、女性の肉体であり、極端にいえば誰でもいいのです。
上野氏の意見は正論だとは思いますが、しかし、そんなことを言えば、女性も同じではないでしょうか。
昨今は、若い女性はいわゆるアイドルの男性に嬌声を上げ、熟女の方達は韓流スターに熱を上げます。
彼女たちはこれらのスターの人間性が好きなのでしょうか。
とてもそうは思えません。
また、多くの女性は男性を容姿、お金、社会的地位で選びます。
人間としての評価はゼロではないでしょうが、二の次でしょう。
要するに、男性も女性もどっちもどっちなんですね。
本当に相手を人間として見て恋愛、結婚するなんてことはほとんどない。
吉行だけを責めることはできないでしょう。
結局、男性にとって女性は、そして女性にとって男性は異種であり、わかりあえるものではないのだと思います。
互いに相手に対する幻想を抱いているだけなのでしょう。
もう少し続きます。