今日は葬式の話をします。
まだ松の内も明けていないのに縁起でもないと思う方もいるかも知れません。
しかし、一休宗純の逸話をご存じですか。
一休宗純は「一休さん」として、アニメにもなっていますし、頓智で有名ですが、実際にはかなり変わった人だったようです。
たとえば、ある年のお正月に「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という句を詠んでいます。
つまり「新しい年を迎えるということは、死に一歩近づくということ。正月の何がめでたいものか」といっている。
その上、ドクロをかざしながら京の町を練り歩いたそうです。
こんなの単なるイヤガラセとしか思えませんが、かなりのへそ曲がりだったのでしょう。
それで、私もへそ曲がりでは負けてませんし、実際、最近は年々死がより身近なものに感じられるようになったのでこのテーマを選んだわけです。
それでは本題に入りますが、最初に今回の文章は多くの部分を島田裕巳氏の 「葬式は、要らない」から着想を得ていることをお断りしておきます。
ただし、間違いや曲解等については、すべて私の責任であることは言うまでもありません。
ということで、皆さんは、法律では、人が死んだときに、必ず葬式を行わなければならないとは定められていないということをご存じでしたか。
人類はどの国でも、どの民族でも、どの宗教でも、どの時代でも、人を葬るという行為を行ってきましたし、行っています。
土葬や火葬が一般的ですが、水葬や、地域によっては、鳥葬、樹木葬(墓石の代わりに樹木を植える)なんてものもあります。
しかし、日本に限って云えば、人が死んだからといって、必ず葬式をとり行わなければならないと規定した法律はないのです。
以下に説明します。
死者が出ると、まず医師に死亡診断書を書いてもらいます。
そして、それを役所に提出し、火葬許可証を交付してもらうという流れです。
ここまでは法的に決まっています。
しかし、それ以降は規定がない。
遺体の処理は、「死亡後24時間経なければ埋葬も火葬もできない。火葬は火葬場以外では行ってはならない。埋葬は墓地以外では行ってはならない」と定められているだけです。
この埋葬や火葬を死亡後24時間待たなければならない理由は、死亡診断の間違いで生き返ることがあるからですね。
現在はまずないとのことですが、医学がそれほど進歩していない時代には稀にあったようです。
蛇足を書くと、有名なエドガー・アラン・ポーの短編小説「早すぎた埋葬」もこれを扱っています。
それはいいとして、繰り返しますが、葬式は義務ではなく、墓も作る必要はありません。
法律で焼いた骨を勝手な場所に埋葬してはならないとされているだけで、埋葬しないことは自由なのです。
ではどうするかというと、要するに散骨すればいい。
遺骨を砕いて灰にして、海や山に撒く。
以前は、散骨は違法と考えられていました。
しかし、実際にはそんなことを定めた法律など存在しないことが判明し、1991年に最初の「公式」な散骨が行われました。
基本的はどこででもできるのですが、所有者がおらず、かつ、周囲の人に迷惑をかけない場所、また、自治体の条例で散骨が禁止されていない場所を選ばなければいけません。
そういえば宇宙葬なるものもあるそうです。
名称からわかるとおり、遺灰を数グラム、特殊なカプセルに納め、宇宙空間に打ち上げます。
いずれにしても、散骨をすれば埋葬も墓も要りません。
なので葬式費用を大幅に節約できることになります。
私が特に取り上げたかったのはこの費用の問題なのですが、長くなるので続きは明日とさせていただきます。
では