先日、面白い相談を受けましたので、その話を書きます。
これはけっこう重要な問題を含んでいます。
興味のある方は注意してお読みください。
ある小さな会社を経営している中年男性(仮にA氏とします)が、人手が足りないので若い男性(同じく、B君と呼ぶ)を雇いました。
そして、1週間ほど仕事振りを見ていましたがどうもかんばしくないんですね。
そこでA氏はB君を呼んで解雇を言い渡しました。
ここまでは良くある話です。
しかし、B君はA氏を睨みつけるとこう言いました。
「いいですよ。首にしたければすればいいでしょう。だけど、俺は霊感が強くて、あんたのことはなんでもわかるし、昔、一度人を呪い殺したこともあるんだ。あんたも同じ目に会わせてやる」
普通だったら、単なる逆恨みの捨て台詞ですから、放っておけばいいのですが、A氏はなんとなく気にしてしまいました。
それでB君と一緒に働いていた同僚に訊くと、本当にいろいろなことをずばずば当てるし、なんだか気味が悪い奴だったと言うんですね。
A氏もそう言われれば思い当たることがないでもないので、完全にびびってしまいました。
さすがに解雇を撤回はしませんでしたが。
そして、夜中に変な音が聞こえたりすると気になって、心配で眠ることもできなくなったんですね。
なんでもそれらしく思えて、神経が参ってしまいました(昔ならノイローゼと言ったのですが、死語でしょう)。
それで私のところに相談に来たのですが、皆さんの中にも呪いが本当にあると思っている人も少なくないのではないでしょうか。
結論から言いますと、呪いで人を殺すことはできません。
私も職業柄、呪い自体の存在を否定はしません。
しかし、人を殺す力があるかとなると答えはノーなんです。
以下にその理由を説明します。
人の感覚にはよく言われるように五種類あり、これに加えていわゆる第六感がありますが、これらはすべて受動的能力です。
英語でperceptionと言うように、要するに感覚を受ける能力のことです。
これに対して、人の能動的能力は物理的力によるものしかありません。
手や足、場合によっては口もあるかも知れませんが、実際に体を動かすしかないんです。
要するに受動的能力にはエネルギーはほとんど要らないのに対して、能動的能力の行使には比較にならないほどの力が必要なんですね。
そして、いわゆる霊感は受動的能力に属するもので、仮に本当に霊能力があったとしても、人を殺すなどと言う大きなエネルギーを要する能動的行動は不可能なんです。
この辺りの誤解が本当に多いんですね。
元来人間はそれ自体がアンテナのようなもので受動的能力には優れています。
霊視ができると称する人間が多いのもそのためです(結構偽者がいますが)。
しかし、能動的能力となると、できると主張する人間は一気に少なくなります。
当然ですね、証明しなければならないのですから。
皆さんは能動的能力とはテレビなんかで時々紹介されているいわゆる超能力であることに気づかれたと思います。
少し話しは逸れますが、もともと超能力という言葉は英語のextra-sensorial perception (ESP) の訳で、本来は超知覚の意味なんです。
つまり、なんども言うように受動的能力です。
それがいつの間にか能動的能力も指すようになっています。
しかし、たとえばサイコキネシス(念動力)に関して言えば、せいぜいスプーン曲げ程度で、特定の金属でできた特定の形状のものだけしか曲げられないような情けない力でしかありません。
こんな力は本当にあったところで大したものではないでしょう(私は存在自体疑っていますが)。
気功もあると言う人もいるかも知れませんが、これにしても動かせるのは相手が人間の時だけです。
この程度の力では人を殺すなんて土台無理でしょう。
大体、人が一人ひとり持っているスピリチュアルエナジー(精神エネルギー)はほぼ同じなのです。
表れ方が違うだけで。
相手も持っているそうしたスピリチュアルエナジーを完全に抑えて、その上殺すなんてことができるずば抜けた力を持った人間などいるはずがありません。
もし、本当に呪いの力で人を殺すことができる人間がいたらこの世はその人間の思い通りになってしまうでしょう(「デスノート」のキラのように)。
では。