今日はちょっと毛色の変わったテーマを取り上げます。
ある動画配信サービスでやっていたドラマを見ていて思いつきました。
ということで本題に入ります。
少し前のことですが、アメリカの連邦最高裁判所が、同性婚を憲法上の権利として認めるとする判断を示しました。
同国では現在、13の州が同性婚を認めていないのですが、これで全米で同性婚が合法化されたことになります。
ホワイトハウスも外観をレインボーカラーで染め上げ、最高裁判決への歓迎の意を表現したそうです。
なるほどねえ、しかし、私なんかは、同性婚は当たり前のことだと思うのですが。
なぜ反対するのかなあ。
アメリカは宗教の力が強いですから、宗教的道徳観からでしょうか。
しかし、道徳観や宗教観から来ているものなら、憲法で定めるべきではないでしょう。
大体、人の権利をうたい、人は自由であるとするのなら、結婚なんてその最たるものじゃないですか。
そういえば、日本でも同性婚は認められていません。
憲法第24条1項に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し・・・」と規定されているんですね。
しかし、日本はアメリカの動向に追随するのが普通ですから、近い将来、認められることになるでしょう。
そう言えば、この問題に関しては、バチカンも揺れているそうですから、近い将来姿勢を変えるんじゃないかな。
結局のところ、同性愛に対する違和感や反感は今でも根強くあり、これを道徳観で覆い隠して反対しているだけだと思います。
しかし、人の結婚のことなんかどうでもいいじゃないですか。
男性同士でも女性同士でも結婚したい人たちには自由に結婚させてあげましょう。
そう言えば、前に取り上げた他人が握ったおにぎりを食べられるかの問題でも、あるタレントは食べられない方をスタンダードしましょうと言っていました。
自分が食べられないからです。
勝手な言い分ですが、大体、こんなものなんですね。
人は自分は多数派だと思いたがり、それに反する人間を排除、差別、弾圧しようとします。
不自然だとか、道徳、宗教などを理由に持ち出して。
しかし、一体何をもって自然と言うのでしょう。
生殖を目的としない性愛は不自然なのでしょうか。
たとえそうだとしても、それは人の文化を作り上げてきたものの一つでしょう。
アニメ「銀魂」である登場人物がこんなことを言っていました。
「彼等は、男らしく生きるつもりも女らしく生きるつもりも毛頭ない。自分らしく生きようとする・・・」
まったくその通りだと思います。
もう一度繰り返しますが、性愛は最大のプライバシーであり、それが他人を傷つけるものでない限り、法律や道徳で束縛すべきものではありません。
現代社会では他人との違いを認め、受け入れることが課題になっています。
性愛についてもできる限り自由にすべきでしょう。
では。