今日のテーマはかなり前から準備していたものです。
しかし、いろいろな事件が起き、先に書くべきことが次々に出てきたために後回しにしてきました。
内容が複雑かつセンシチブなので、まとめるのに時間がかかったこともあります。
とにかく、ようやく今日取り上げることができました。
とまあ、なにか勿体をつけていますが、いつものようにそれほど大した内容ではありませんので、あまり期待しないでくださいね。
では本題に入ります。
ニュースによれば、米連邦最高裁は1973年に女性が人工妊娠中絶を選ぶ憲法上の権利を認めた歴史的判例の「ロー対ウェイド判決」を49年ぶりに覆し、州による中絶の禁止や制限を容認する判断を下したとのことです。
同訴訟の争点は、妊娠15週より後の中絶を原則禁止する南部ミシシッピ州法の合憲性です。
ちょっとわかりにくいと思いますが、要するに、連邦最高裁が州による人工妊娠中絶禁止を容認したわけです。
同判決のために、中絶反対派が優勢な他の州では、中絶を禁止する州法が準備されています。
たとえば、南部ケンタッキー、ルイジアナ、中西部サウスダコタの3州では、母体にリスクがある場合を除いて中絶を禁止し、中絶を施した医師らに刑事罰を科す州法が発効するとのことです。
しかし、私なんかから見れば、これは明らかに時代の流れへの逆行だと思うですがいかがでしょう。
それはいいとして、ニュースを見ていると、反対派の人たちは中絶手術を行うクリニックの前で手術を受けようとする女性の行く手を遮ったり、説教したり、果ては手を引っ張って止めようとします。
そして、彼らは「神は堕胎を許さない」、「聖書には中絶をすれば地獄に堕ちると書かれている」といったことをよく口するようです。
人がどのような信条を持つのも自由です。
しかし、その信条を他人に無理やり押し付けたり、暴力をふるったりするのは話は別でしょう。
特に、宗教的信条から反対している中絶反対派の人たちは、命の大切さを訴えているはずなのに物凄く攻撃的です。
たとえば、中絶手術を施していた医師が教会で反中絶過激派によって射殺されるといった事件まで起きています。
しかし、「神は堕胎を許さない」なんていっていますが、神が許さないのではありません。
ただの人間が神の言葉とされるものを勝手にでっち上げているだけです。
また聖書はキリストが書いたものではありません。
後年、多くの人が作り上げたものでしかない。
話は大きくずれますが、アメリカ人の宗教観は自分勝手というか、自分たちに都合の良いように神を利用しているように思えます。
上に書いたように、神の名の下に自分の気にいらない人間を殺すなんてことはそれほど珍しいことではないようです。
さらに、今までのさまざまな戦争でも必ず神のご加護を謳ってきました。
極めつけは、広島へ原子爆弾を投下するためテニアン島を飛び立ったB29爆撃機エノラゲイを、キリスト教各派の牧師たちは原爆投下の成功を祈りながら見送っていたことです(エノラゲイ搭乗員の証言があります。また、カトリックの神父が同機に搭乗していたとの説もあります)。
こんなのは、私にいわせれば、神を引き合いに出して自分たちを正当化しているだけでしょう。
言い換えれば最終的な責任を自分では取らず、神に押し付けている。
まあ、アメリカに限らず、神の名の下に戦争を始めとする残虐な行為に走ることは今後もなくならないでしょうが。
最後に書いておくと、私は中絶には反対です。
胎児であっても人権があると思うからです。
ただ、だからといって、中絶を是とする人たちに自分の意見を押し付けるつもりはありません。
では