外見を大事にして、何が悪い?

昨日の文章の続きです。

「as I am」運動推進者の女子大学生の主張は、ルッキズム(外見至上主義)反対の考えに基づいたものです。

一応説明すると、ルッキズムとは、人を見た目で評価し、その容姿の良し悪しによって扱いを変えることですね。

もちろん、魅力的な見た目ではない人たちを差別的に扱い、価値のない人間として蔑むことが良くないことは言を俟ちません。

しかし、私は外見の良さを重要視するのは、人間が持つ動物的本能によるものだと考えています。

ライオンやセイウチといった群れで暮らす動物では、雄の強さが絶対的価値であり、一番強い個体が雌を独占します。

若い個体が雌を獲得したければ、支配的雄に挑戦し、勝利しなければいけない。

これは優秀な子孫を残すという遺伝的命題から考えれば当然のことですね。

しかし、種によっては、明らかに外見の良さが、交配相手の選択の第一条件になっている例も結構見られます。

たとえばクジャクではゴージャスな尾羽(実際には上尾筒)を持つ雄ほど雌からもてます。

尾羽が何かの役に立つわけではないのですが。

ただし、これも実は良い遺伝子を残すためです(長くなるので、詳しい説明は省きます)。

人間の場合もこれと同じでしょう。

つまり、男性がスタイルが良い、美しい女性に惹かれるのも、女性が男性のたくましさや格好良さに魅せられるのは当り前で、人間が外見を重要視するのは遺伝的に見れば当然のことなのです。

ところで、「as I am」運動推進者の女子大学生が、「ボディポジティブ」との考えから意識が変わったのは結構ですが、すでに書いたとおり、「ありのまま」の自分でいることが素晴らしいとすれば、美しくなろうと努力するのは虚しいことなのでしょうか。

化粧やファッションも必要がないことなのでしょうか。

さらにいえば、「ありのまま」でいいとすれば、知性を高めたり、センスを磨く必要もないことになります。

向上心は一切いらない。

こんなことをいうと極論だと言われるかの知れませんが、私には外見と中身にそれほどの価値の違いがあるとは思えません。

人間には、知性、才能、収入等々、外見に替わるさまざまな価値観があります。

しかし、そのうちのどれを重要視するかはそれぞれです。

「ありのまま」でいいとの主張する人たちは、外見に代わるような価値をもっていないのでルッキズムを否定しているだけでしょう。

なんのかんのいっても、結局のところいつまでも外見に捕らわれていて、自分のコンプレックスを誤魔化すために、他人の価値観まで否定し、自分の考えを押しつけようとしているだけではないでしょうか。

では

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